金閣寺の彼は、対象が国宝の金閣寺であったがために、その特性に応じた責任感と一応は闘い、それに対して、特殊な弁明をも得ていたにすぎないと思うが、彼が罪の意識と闘ううちに、美への嫉妬とか、見物人への反感というようなことを真実なものとして実感していたことも間違ってはいなかろう。
硫酸をブッかけた男が、かかる浮気女に社会的に制裁を加える、というような、自分を離れた正義心を実感していたとしても、その真実を疑うことができないのと同様である。
又、私は、金閣寺が焼失したことについても、新聞に雑誌に、多くの識者が、国家の一大損失であるかのように説き立てることに対しても、まったく賛成していない。