これは梅沢女剣劇の小屋へ探偵にでむいた班からの報告である。
女剣劇のかかっていたのは、浅草六区の飛龍座というバラック造りの劇場の番附には入れてもらえぬ悲しい小屋だ。
浅草奥山が官命によって取払われたのは明治十七年、その代地として当時田ンボの六区が与えられたが、区劃整理して縦横に道を通じて後、ようやく五六軒の名もないような小屋と、十軒あまりの飲食店などができたばかり、当時は新開地とよんでいたが、今の六区には比すべくもない田ンボの中の小さな遊園地である。
これは梅沢女剣劇の小屋へ探偵にでむいた班からの報告である。
女剣劇のかかっていたのは、浅草六区の飛龍座というバラック造りの劇場の番附には入れてもらえぬ悲しい小屋だ。
浅草奥山が官命によって取払われたのは明治十七年、その代地として当時田ンボの六区が与えられたが、区劃整理して縦横に道を通じて後、ようやく五六軒の名もないような小屋と、十軒あまりの飲食店などができたばかり、当時は新開地とよんでいたが、今の六区には比すべくもない田ンボの中の小さな遊園地である。