重太郎は学業のかたわら乞食部落に寺小屋をひらいて、乞食の子供に教育をさずけ、子供が大きくなった時には乞食部落が自然消滅するような長期計画の実行にうつった。
彼はヤソ教の教会で知り合った同じ信者の今村左伝夫妻にたのみ、三枝子とオソノを母里家へ女中奉公にだした。
というのは、今村カメ女は貧乏士族の娘で、同じように貧乏士族の左伝と結婚して母里大学の家令をやって細々生計をたてているが、実は今村カメ女と云えば歌人としても名があるし、書道、華道、茶道、料理に一流の見識があって、その道では重んぜられている人だが、深くケンソンして弟子をとらず、清貧に甘んじ、それを知る人々には一そう奥ゆかしく見られておる。