今村夫婦は一応それをかばうように取はからってくれもするが、実はやっぱり旧弊が身についているから、先祖代々の乞食の娘ということに色目をもっていることは、当人が何よりそれを感じ易くて、三枝子とオソノはまだ子娘ながらも今村カメ女必ずしも奥ゆかしい超俗の詩人にはあらず、神の正しい教えを身に体した偏見なき信女にあらず、と見ている。
まだしも馬丁当吉夫妻が誰よりも偏見がなくて、士族も新平民も区別をもたない。
さて、重太郎は三枝子が主家の秘宝をこわして行方をくらましたときいて、妹はよくヤソの教えをまもって子供ながらも義務や責任をわきまえ、自らアヤマチを犯した時にとるべき手段をあやまるような娘ではない筈である。