西洋で暮してきた全作が附添いに看護婦を思いつくのはフシギではなかった。
ところがその看護婦が当時は珍品であった。
明治十九年にようやく看護婦養成所というものができて、二ヶ年の修業で看護婦の育つ仕組みができあがったが、それまでは公式に看護婦という職業はなく、お医者が個人的に、それも主として西洋から招かれてきた紅毛碧眼のプロフェッサーが個人的に希望者を仕込んで自分の用を便じていた。
西洋で暮してきた全作が附添いに看護婦を思いつくのはフシギではなかった。
ところがその看護婦が当時は珍品であった。
明治十九年にようやく看護婦養成所というものができて、二ヶ年の修業で看護婦の育つ仕組みができあがったが、それまでは公式に看護婦という職業はなく、お医者が個人的に、それも主として西洋から招かれてきた紅毛碧眼のプロフェッサーが個人的に希望者を仕込んで自分の用を便じていた。