打つばかりでなく、突いてくる、払ってくる、次にどの方向からどこを目がけて飛びだしてくるか見当がつきかねるという難物で、これを相手とする者は敵が百本の手に百本の棒をふりまわしているような錯覚を感じる。
武蔵も夢想権之助の棒には手を焼き、一般にこれを相打ちと称されているが、実際には武蔵が一生に一度の負けをとっている事実があるのだ。
庭前で試合をすることになり、武蔵が書院から降りようとすると、相手はすでに書院の下に控え、殿様の眼前だからやや伏目に頭を下げて坐っている。
打つばかりでなく、突いてくる、払ってくる、次にどの方向からどこを目がけて飛びだしてくるか見当がつきかねるという難物で、これを相手とする者は敵が百本の手に百本の棒をふりまわしているような錯覚を感じる。
武蔵も夢想権之助の棒には手を焼き、一般にこれを相打ちと称されているが、実際には武蔵が一生に一度の負けをとっている事実があるのだ。
庭前で試合をすることになり、武蔵が書院から降りようとすると、相手はすでに書院の下に控え、殿様の眼前だからやや伏目に頭を下げて坐っている。