これも亦、やっぱり我々の「ふるさと」でしょうか。
そこで私はこう思わずにはいられぬのです。
つまり、モラルがない、とか、突き放す、ということ、それは文学として成立たないように思われるけれども、我々の生きる道にはどうしてもそのようでなければならぬ崖があって、そこでは、モラルがない、ということ自体が、モラルなのだ、と。
これも亦、やっぱり我々の「ふるさと」でしょうか。
そこで私はこう思わずにはいられぬのです。
つまり、モラルがない、とか、突き放す、ということ、それは文学として成立たないように思われるけれども、我々の生きる道にはどうしてもそのようでなければならぬ崖があって、そこでは、モラルがない、ということ自体が、モラルなのだ、と。