このことは遠い古代からすでにそうで、平安朝の昔、大伴今人という国守が山を穿って大渠をひらいたとき、百姓はこれを無役無謀な工事だといって嗷々と批難したが、工事を終りその甚大な利益を見るに及んで嘆賞して伴渠と名づけて徳をたたえたという。
又、淳和天皇の頃、美濃の国守の藤原高房という人があって、安八郡のさる池の堤がこわれて水がたまらず灌漑の用を果しておらぬのを見て、修築を企てた。
すると土民は口をそろえて、この池は神様が水を嫌っているのだから水を溜めない方がいいのだと騒ぎだしたが、神様が怒って殺すというなら俺はいつでも殺されてやるさ、と高房は断乎として堤を築かせたところ、工事終って灌漑の便利に驚いた土民は改めて嘆賞したという。