地頭は到るところの土をつかめ、というのは愛嬌のある表現だが、この国司も愛嬌がある。
今昔物語の作者の批判はつまり農民の側からの批判であり諷刺であろうが、農民自身が自分の姿にこれだけの風刺と愛嬌を添え得ていないのが残念だ。
地頭は到るところの土をつかめ、という精神でしぼりとられては農民も笑ってすますわけに行かないが、地頭の方がこうなら、それに対する農民ももとよりそれに対するだけの土をつかむことを忘れてはいないので、当然の供出に対する不平だの隠匿米だのということはあんまり昔の本に書かれていないが、これは昔の本の観点が狂っているからで、今の農村に行われていることが昔なかった筈はない。