河上徹太郎氏が人間修業ということを言っていたのは、こういうインチキな諦観をもって至上とする境地に就て説いたものでは無論ないが、元来、これまで日本に於て政治家実業家あたりが人間修業と称して珍重したものは、このインチキな風格であった。
後悔や内省は若いというのである。
峻烈な自己批判から完全に目を掩うたところで「人間ができた」ということになり、恰も人生の深処に徹したかの盛観をなす、まことに孤り静かな印度の縁覚を目のあたりに見る荘厳だが、根柢に於て、これほど相対的な功利的計算をはたらかせたものは珍しい。