峻烈な自己批判から完全に目を掩うたところで「人間ができた」ということになり、恰も人生の深処に徹したかの盛観をなす、まことに孤り静かな印度の縁覚を目のあたりに見る荘厳だが、根柢に於て、これほど相対的な功利的計算をはたらかせたものは珍しい。
悔ゆべきところに悔いを感じまいとする毒々しい虫のよさもさることながら、他人に許されるために他を許そうとする、こういう子供同志の馴れ合いのような無邪気な道徳律が、恰も人生の最深処の盛観を呈しているのが阿呆らしいのだ。
枯淡というと如何にも救われた魂を見るようであるが、実は逆に最も功利的な毒々しい計算がつくされている。