悩むべきものに悩むまいとする逃避的な思想から来たもので、自ら内蔵する醜に強いて触れまいというのであるが、彼が斯く「醜」と感ずるそのことが全く実体のない空想的偏見に捕われているのであって、真に悩むべきを悩むところの人間にとっては、醜も美も文句はなく切実な行があるばかりである。
斯様な場合、空想的思弁家のシニカルな潔癖ほど醜劣なものはないのである。
実体の探究者、或いは実体と争う人にとって、「行」に先立つ醜も美もありえない。
悩むべきものに悩むまいとする逃避的な思想から来たもので、自ら内蔵する醜に強いて触れまいというのであるが、彼が斯く「醜」と感ずるそのことが全く実体のない空想的偏見に捕われているのであって、真に悩むべきを悩むところの人間にとっては、醜も美も文句はなく切実な行があるばかりである。
斯様な場合、空想的思弁家のシニカルな潔癖ほど醜劣なものはないのである。
実体の探究者、或いは実体と争う人にとって、「行」に先立つ醜も美もありえない。