悩まざるがゆえの、救われない毒々しさが、私を悩ますのであった。
なにぶん題に示す通りの旅日記で、徳田氏の代表的な作物でないと云えば、それまでの話であるが、然し目下の日本帝国には斯ういう文章を読んで「枯淡の風格味うべきものあり」なぞと珍重する読書人がハバをきかしていると思うと、自分の小説の下手糞なのも打ち忘れて、腹が立ってくるのである。
題の如く筋も急所もないのだから、読まない人に通じるように話せないのが残念であるが、ザッとこの作品の荒筋をのべれば、もはや老境に達した融とよぶ小説家の主人公が、病床の兄夫婦を見舞うために故郷に帰り、余命いくばくもない兄夫婦の自分の死なぞもはやなんでもなく、ただ一方の死ぬまでは生きのびて看とってやりたいなぞという心境なぞ語りあい、やがて徒然にも悩むうち甥のすすめるままに、娘のように年齢の違う東京の情人のところへ電話をかけ、故郷見物がてら来てはどうかと呼びよせる。