まず人物にしてからが、どの一人として所謂南画の神品風に生動する活写はなく、娘のような女をつれて温泉なぞ歩いている老人の姿にも人生の深さによって人を打つ筆力は全くない。
そういう表だった筆力を殺し、物々しい描写をさけているところに勝れた味わいがあるというのは、当らない。
簡略にして要をつくしているというなら簡略も要のぶんだけの働きをしていることになるだろうが、この作品の簡略な筆触は一向人物を活写せず、少しく濃厚な筆力を用いたなら、これ以上に人物を活写せずして活写以上の味わいを出しているなぞいう、空想的な文章論は意味をなさない。