元来会話というものは、語られた言葉の内容が心の内容の全部ではなく、語らざる心もあり、言葉の裏側の心もあり、更に二重に三重に入り組んだ複雑が隠されていることは言うまでもない。
それゆえ語られた言葉ばかりの戯曲では、いきおい日常そのままの冗漫な会話ではいけないわけで、心の裏を推測するに便利のような組み立てをもって立体的な会話を構成する。
然し徳田氏の「旅日記」の場合は、会話が決して斯様な立体的な組み立てをもって構成されてはおらぬ。
元来会話というものは、語られた言葉の内容が心の内容の全部ではなく、語らざる心もあり、言葉の裏側の心もあり、更に二重に三重に入り組んだ複雑が隠されていることは言うまでもない。
それゆえ語られた言葉ばかりの戯曲では、いきおい日常そのままの冗漫な会話ではいけないわけで、心の裏を推測するに便利のような組み立てをもって立体的な会話を構成する。
然し徳田氏の「旅日記」の場合は、会話が決して斯様な立体的な組み立てをもって構成されてはおらぬ。