会話の行間に裏をにおわす何物もなく、まして会話のあることによって人物の面目が躍如とする、というだけの効能もないとなれば、この一齣は無駄であり、ひいて小説全体が小学生の綴り方以上の何物でもないのである。
徳田氏の眼が、自分の心の奥に向って、これ以上の深入りをさけるなら、当然これは小学生の綴り方と同列である。
娘のような恋人をもつこと、甥のすすめるままに東京から恋人を呼び寄せること、多少の嫉妬を起すこと、そういうことが一見飾らず偽らず隠さずという風に書かれてあるのだが、飾らず偽らず隠さざるが故かのように裸となって光を求め道を求めて彷徨する苦難な歩行者の姿は微塵もないのだ。