この物語の始めの方で、雲吉が沙漠の散歩から帰ってきて部屋へはいると、着物や髪の毛の中から沙漠の砂がパラパラとこぼれてくるというあたりは却々気の利いた精密さで、全篇の空想の中に作者が常にこれくらい快適に浸りきっていたならこの空想も救われたのである。
だがこのほかの部分では全く空想の中に作者が浸っていないのだ。
最後に空想がどうやら現実へからみついてきて作者は自己を語りはじめているのだが、この自己弁解が又極めて世俗的な鬱憤をはらしているにすぎないのはひどすぎる。
この物語の始めの方で、雲吉が沙漠の散歩から帰ってきて部屋へはいると、着物や髪の毛の中から沙漠の砂がパラパラとこぼれてくるというあたりは却々気の利いた精密さで、全篇の空想の中に作者が常にこれくらい快適に浸りきっていたならこの空想も救われたのである。
だがこのほかの部分では全く空想の中に作者が浸っていないのだ。
最後に空想がどうやら現実へからみついてきて作者は自己を語りはじめているのだが、この自己弁解が又極めて世俗的な鬱憤をはらしているにすぎないのはひどすぎる。