いったいがこの漠然とした悲願、直接に何を祈り何を求めるという当てさえもない絶体絶命の孤独感のごときものだが、これは数十世紀の人間精神史と我々の真実の姿とのあらゆる馴れあいと葛藤を経て、虚妄と真実とがともにその真正の姿を没し去ってしまったところから誕生したものであろうか。
自らの実体を掴もうとして真実の光の方へ向おうとすれば真実はもはや向いた方には見当らなくなっていたというような、或いは逆に向き直ったところの自らが、向き直ったときには虚妄の自らに化していたというような、即ちこの悲劇的な精神文化の嫡男が悲願の正体であろうと思う。
それ自体を分析しても割りきれる代物ではない。