去年「紀元」に発表した「鋸の音貧し」という作品の中で、主人公は隣の部屋から洩れてくる愛すべき若夫婦者のなんでもない話声をきいているうちに、むろんそれが原因ではないが、急にふらふら立ち上り、縄を吊してどうやらもぞもぞと首をくくろうとしはじめる。
どうも読んでいてその重苦しい漠然たる人生苦がやりきれなくなるのだった。
ところが今年の「紀元」新年号に書いた「山茶花の庭」で、これも惚れないうちから諦めていた一人の娘との別れに自作の白粉を餞別しようと思って、自分ではその壺へ「長相思、思ひ何ぞ長き――」というような詩をひとつ気取って焼きこんでやろうと思っているうちに、ついなんとなく焼きこんだのが「古井戸や蚊に飛ぶ魚の音暗し」という蕪村の句である。