ところが川端氏の「からさ」に対比するわけではないが、片山がその孤独感をおしつめてゆく態度が凡そ完全に「あまい」のである。
川端氏がわれわれ好みの見栄と考えて三円の料金であっさり女を買ってしまうところを、片山はそういう「からさ」には一向てれずに辻本には足賃をやりその家には茶代を払い殊に女には簪ぐらい買ってやろうという気持まで起さないとは限らない。
だが、そういう甘い気持によってその悲願をまぎらしたり、又その悲願がそういうことで慰むのかといえば、凡そ完全にそういうことはない。
ところが川端氏の「からさ」に対比するわけではないが、片山がその孤独感をおしつめてゆく態度が凡そ完全に「あまい」のである。
川端氏がわれわれ好みの見栄と考えて三円の料金であっさり女を買ってしまうところを、片山はそういう「からさ」には一向てれずに辻本には足賃をやりその家には茶代を払い殊に女には簪ぐらい買ってやろうという気持まで起さないとは限らない。
だが、そういう甘い気持によってその悲願をまぎらしたり、又その悲願がそういうことで慰むのかといえば、凡そ完全にそういうことはない。