しかし、此の未来を「力なき対象」として過去(即ち対象)に属せしめる以上は未来を時間としての意味でなく、意識の対象としての意味に於て見てゐるといふことに就て再考する必要がある。
いはゆる「予想せられたる未来」として前来これを一つの意識対象に取り扱つて来たことは、結局「予想せられたる未来」が単に未来に就ての意識であるに止つて、たとへ我々が明日のこと十年百年以後のことを予想し得るにしたところで「現在意識しつゝある力」にとつてはあくまで只「意識せられたもの」であるにすぎないといふのである。
しからば前来説明してきた現在と過去との関係は、「力」なるが故に現在であり、力によつて「はたらかれる」ものである故に過去であるといふことであり、従て、過去と現在とは「主」と「客」との相違に本づく区分であるといふことに気付くであらう。