それは毎晩のことだつた、気のせいか、多少は音を憚かる跫音が、しかしかつかつと甃を鳴らしながら、山門を潜つて龍然の書院へ消え去るが、それは夜毎にここへ通ふ龍然の情婦であつた。
もとより龍然は、わざと情婦を凡太に紹介することもしなかつたけれど、さりとて隠し立てするわけでは無論ない、静かすぎる山奥の夜であるから、うむうむと頷く声が聴えたり、日本の裏手は北亜米利加ではないだらう等と、愚にもつかない話声も洩れてきたりするが、流石にまれには女の泣く音も聴えたりしてそれらしい情景を想像させることもあつた。
激しい嗚咽が長長と消えない夜も、龍然は別に凡太の手前をつくろつて、それを隠しだてる気配も立てはしなかつた。