もとより龍然は、わざと情婦を凡太に紹介することもしなかつたけれど、さりとて隠し立てするわけでは無論ない、静かすぎる山奥の夜であるから、うむうむと頷く声が聴えたり、日本の裏手は北亜米利加ではないだらう等と、愚にもつかない話声も洩れてきたりするが、流石にまれには女の泣く音も聴えたりしてそれらしい情景を想像させることもあつた。
激しい嗚咽が長長と消えない夜も、龍然は別に凡太の手前をつくろつて、それを隠しだてる気配も立てはしなかつた。
彼の方でもことさらに聴き耳を立てるわけではなかつたから、つぢつまの合はない物音が時たまぽつんと零れてくる程にしか過ぎない、恋といふ感じよりは、どう思ひめぐらしてみても尋常の人の世の営みを越えた刺激は全く受けることがなかつた。