三本路のことであるから、別に擦れ違つたのでもなく特別な注意もしてゐなかつたので、凡太はその顔を見なかつたが、暫くして、あれが俺の女で苫屋由良といふ名前だと龍然はふと言ひすてた。
実はその時、ほんのわづかではあつたが、まだそれを口に出さない龍然の沈黙の数秒の間に、已にそれを感じさせる何がなしの感傷があつたので、凡太は疾くそれを悟ることができて、どんよりと澱んだ黄昏のなかへ波紋を画きながら拡がつてゆく太い憂鬱を味はつてゐた。
そして龍然が口を切るまでの短い沈黙を、堪えがたい長さに圧しつけられてゐたので、その言葉をきいた時にははや振り返る気持にもならなかつた。