凡太は其処から、何の気もなく今駈け降りた山を振り仰いだが、もはや群衆の喚声もさだかではなかつたし、燈火も無論洩れ落ちては来ない、ただひたひたと流れるやうな哀愁が、深い一種の気分となつて彼の胎内を隈なく占領してゐた。
凡太はそれにぢつと浸りながら、本街道に沿ふて平行に流れてゐる暗い嶮しい間道を伝ひ、ひつそりと音の落ちた山を二つ越えてから本街道へ現れてみると、もう黒谷村の家並を遠く通過して、熊笹ばかり繁茂した黒谷峠のただ中へ、間もなく迷ひ込むばかりの、そんな地点に当つてゐる憂鬱な杜だつた。
凡太はいそがわしく廻れ右をして、今度は本街道伝ひに黒谷村へ戻りついたが、恰も長い長い歴史の中を通過してきたかのやうに感じながら、居酒屋の灯を見出してそれを潜つた。