凡太の経験に由れば、書籍を所有することに心から恥を持つ人は、おほむね勝れた学識を持つ人達であつたから、龍然の学識に対しても、忽ちこの時から敬意を払ふことにして、別にそれ以来議論を交したこともないから、そのままその時の敬意を払ひつづけてゐたのだつた。
ところが隣座敷の狂態たるや支離滅裂も何もあつたものではない、土台論理も論旨もあるわけでなく言葉の体裁をさへ調へてはおらぬのだから、或ひは発狂したのでもあらうかと思へば、恐らくさうでもないのであらう、刑事もつくづく度胆を抜かれてやうやくに龍然を宥めすかし、飛んだ疑ひをかけて相済まない、今となつては青天白日で貴僧の名誉に傷はつけないから――と詫びながら舞ふやうにして退却した。
凡太もほつと安堵して玄関へ龍然を迎へに行くと、龍然はもう、どこを風が吹くのかといふやうに、いつもの通りあつけらかんと残骸のやうなしよんぼりした顔をして戻つて来るところだつた。