女衒は手に短い杉の小枝を携へてゐて、それを弄びながら急ぎ足ですたすた下りていつたのだが――その時凡太は、それは恐らくその時の結果から推してさう思ひ当るのかも知れないけれど、もし自分が龍然の身の上で、そして今自分一人でこんな山奥に女衒と擦れ違つたとしたならば、或ひは自分は女衒を殺害して谷底へ埋めてしまふかも知れない……と、そんな風な空想をたしかその時めぐらしたやうに思ひ出されるのであつた。
しかし龍然はまるで何でもない顔付で、女衒の存在にさへ気付かぬやうな物腰でやり過してしまつたから、凡太はほつとして、これは龍然は女衒の顔を知らぬのかしら等と考へながら上の杉並木を洩れる空模様を仰いで息を吸つた。
するといきなり耳もとで、さつと風を切る激しい音がした。