母を憎む扼腕の瞿曇(それも今は愛誦すべき聖典の類ひか――)、同じ少年を乗せて飴色の広野を走る汽車の窓、黄昏の紫陽花色の雲のさ中を長々と横ざまに這ふ一匹の小蟹が見える、何時の頃何処の記憶か知らないが、半ば崩れた白壁に一つ裸木の物倦げな影が、秋も深く闌けてゐる、いろいろの顔やいろいろの女、古い埃に煤けほうけて沸沸と浮んで消える映像の中に、やはり鮎子の面影が黴に煤けて一瞬空を掠めて通る。
昨日の心も、今朝の心も、恐らくは又明日の心も、遠い昔の面影と共に、みんな乾涸らびた思ひ出の匂ひに泌みて僕の全ての現実はたとへば磯にゐて今追憶に耽ることさへ、それも亦古い幻の風景のやう、ゆらゆらと、風に孕まれて鈍い出帆の銅羅が鳴るが、それも亦思ひ出された夢の遠さに聴き取れてしまふ、うつらうつらと一握の砂を掬んで、指を洩る一条の煙を測る、ひもすがら同じ砂砂を幾度掬んで幾度零すか、何時の間に夜が落ちたか、潮に濡れて僕はぼんやり家へ帰る。
夜更けて、夜毎に僕は酒場へ通つた。