そして、白い漆喰の方を向いて手を洗ふ時にのみ極つて、もう殆んど全快に近いこと、本来非常に軽微な症状でしかなかつたことを、その時だけは語気を強めて、然し次第に語勢の落ちた小さな呟きのやうにして、遂には結局手垢と手と共に洗ひ流してしまふやうに、呟き終はるのであつた。
そして今度は私の方を振り向いて、もし私の気さへ進むなら、転地してみるのも悪い試みではないことを、早口に、ごく簡単に述べるのであつた。
しかし、私は、殆んど旅の経験を持たない人間であつたので、汽車に乗ること、見知らない土地へ向つて一人走り去ることの心細さや、旅先での様々な煩瑣な心遣ひのことなぞが、私を重たくして、私はそれを考へることも寧ろ好まないやうであつた。