底に一種の象徴が理窟なしに働いてゐて、ある角度を通して、写実以上に現実を高揚しなければ文学とは呼ばない習慣になつてゐる。
写実を主張した芭蕉にしてからが、彼の俳諧が単なる写実でないことは明白な話であるし――尤も、作者自身にとつて、自分の角度とか精神とか、技術、文字といふものは、表現されるところの現実を離れて存在し得ないから、本人は写実であると信ずることに間違ひのあらう筈はないけれども――斯様に、最も写実的に見える文学に於てさへ、わが国の古典は決して写実的ではなかつた。
又、「花伝書」の著者、世阿弥なぞも、写実といふことを極力説いてゐるけれども、結局それが、所謂写実でないことは又明白なところである。