又、「花伝書」の著者、世阿弥なぞも、写実といふことを極力説いてゐるけれども、結局それが、所謂写実でないことは又明白なところである。
私は、世阿弥の「花伝書」に於て、大体次のやうな意味の件りを読んだやうに記憶してゐる。
『能を演ずるに当つて、演者は、たとへ賤が女を演ずる場合にも、先づ「花」(美くしいといふ観念)を観客に与へることを第一としなければならぬ。
又、「花伝書」の著者、世阿弥なぞも、写実といふことを極力説いてゐるけれども、結局それが、所謂写実でないことは又明白なところである。
私は、世阿弥の「花伝書」に於て、大体次のやうな意味の件りを読んだやうに記憶してゐる。
『能を演ずるに当つて、演者は、たとへ賤が女を演ずる場合にも、先づ「花」(美くしいといふ観念)を観客に与へることを第一としなければならぬ。