この事は単に文学だけではなく、音楽に於ても、(私は音楽の知識は皆無に等しいものであるが、素人として一言することを許して頂ければ――)私は、近代の先達として、ドビュッシイの価値を決して低く見積りはしないが、しかも尚この偉大な先達が、恰かもそれが最も斬新な、正しい音楽であるかのやうに、全く反省するところなしに単なる描写音楽を、例へば「西風の見たところ」、「雨の庭」と言つた類ひの作品を、多く残してゐることに就て、時代の人を盲目とする蛮力に驚きを深くせざるを得ない。
そして現今、洋の東西を問はず、凡そ近代と呼ばれる音楽の多くは、単なる描写音楽の愚を敢てしてゐる。
斯様に低調な精神から生れた作品は、リュリ、クウプラン、ラモオ、バッハ等の古典には嘗て見られぬところであつた。