ところが日本では西洋と反対で、最も時代の古い「狂言」が、最もロヂカルに組み立てられ、人物の取扱ひなぞでも、これが西洋の近代に最も類似してゐる。
で、西洋近世のロヂカルなファルス的文章法といふものは、本質的には実に単純極まりないもので、「AはAである」とか、「Aは非Aでない」と言つた類ひの最も単純な法則の上で、それを基調として、アヤなされてゐる。
語の運用は無論として、筋も人物も全体が、それに由つて運用されてゐると見ることも出来る。
ところが日本では西洋と反対で、最も時代の古い「狂言」が、最もロヂカルに組み立てられ、人物の取扱ひなぞでも、これが西洋の近代に最も類似してゐる。
で、西洋近世のロヂカルなファルス的文章法といふものは、本質的には実に単純極まりないもので、「AはAである」とか、「Aは非Aでない」と言つた類ひの最も単純な法則の上で、それを基調として、アヤなされてゐる。
語の運用は無論として、筋も人物も全体が、それに由つて運用されてゐると見ることも出来る。