私は少年の頃フロオベエルを読んで面白くないと一蹴したが、この訳に暗示されて再読し、感心した。
フロオベエルやドストエフスキーの流行といふやうなものは、いはゆる流行ではないのである。
どんな多読家でも、流行でもしなかつたら一々古典の隅々まで読めるわけのものでないから、具眼の士が時世の下に隠された宝玉を思ひ出させてくれなければならない。
私は少年の頃フロオベエルを読んで面白くないと一蹴したが、この訳に暗示されて再読し、感心した。
フロオベエルやドストエフスキーの流行といふやうなものは、いはゆる流行ではないのである。
どんな多読家でも、流行でもしなかつたら一々古典の隅々まで読めるわけのものでないから、具眼の士が時世の下に隠された宝玉を思ひ出させてくれなければならない。