題の通り筋も急所もないのだから、読まない人に通じるやうに話せないのが残念であるが、ザッとこの作品の荒筋をのべれば、もはや老境に達した融とよぶ小説家の主人公が、病床の兄夫婦を見舞ふために故郷に帰り、余命いくばくもない兄夫婦の自分の死なぞもはやなんでもなく、ただ一方の死ぬまでは生きのびて看とつてやりたいなぞといふ心境など語りあひ、やがて徒然にも悩むうち甥のすすめるままに、娘のやうに年齢の違ふ東京の情人のところへ電話をかけ、故郷見物がてら来てはどうかと呼びよせる。
女が来たので甥に案内させて町をみせたり、一応兄に紹介しておきたくなつて兄を訪れたり、甥と散歩にでた女が赤い顔で帰つてきたので、酒を飲んできたのだらう、いいえ飲みませんと押問答したり、料理をくひに行つたり温泉へ行つたり、昔は美丈夫だつた友達の写真をわざ/\取寄せて女に見せたり、その人がもう死んでゐたり、要するに、さういふ種々の事柄のまことに「枯淡なる」記録である。
この作品のどこに特別の人生的深さがあるものやら、あると云ふ人の、それではどこにその深さがあるといふのか一々丁寧に教へてもらはないことには、全く私の腑に落ちないのだ。