この徳利をぶらさげて帰京した浩平がこれを蒲原家へ持参して人々に示すと、その頃丁度蒲原家に使はれてゐた戸隠生れの女中と、やつぱり長野近在で鬼無里といふ村落から来てゐた女中が噴きだして、その徳利なら自分達の村中どこの家でも一本や二本使つてゐると言つたことから、長野近辺の山家には今でもこんな徳利が沢山あつて毎日の生活に使はれてゐることが分つた。
浩平の掘出してきた徳利は百年ぐらゐ昔のものと思はれる古さで、何の加工もない素朴なものだが、いかにも落付きのあるのび/\した形と、極めて自然な穏やかな色工合が渾然と調和して、それ自体も相当見られるものであつたが、それにも増して蒲原氏を異様な夢に誘つたものは恐らく女中達の証言で、この徳利が今も一役を務めてゐる眠つたやうな山家の人々の生活を思ふと、大自然の息吹の中では一点のしみのやうな果敢ない生存、その日その日の天候や、山や森の移りかはる表情の悲しさに比べてさへあまりに細々とした喜怒哀楽、さういふものの悲しさ愉しさ心細さがあげて着々と歌はうとするところのものが恰もこの貧乏徳利ででもあるやうで、その形にその色に彼等の宿命の切なさがむしろ傲然とおし流され、心に沁むものがあるやうだつた。
女中達の言葉をきくと蒲原氏はにはかに様々の幻想に追はれはじめた様子で、「お前たちがこの徳利を使つてゐたのか……」と幽かな驚きの叫びを洩らしてゐたが、「それで、どういふ用に使つてゐるのだい」ときくと自分達には一向奇も変もない徳利のこととて山の娘は却つて面喰つた形で、「お酒やお醤油や、やつぱりそんなものです」とはぢらひながら答へたほどであつた。