温泉といへば、長野から近いところに、湯田中、渋、発哺、上林、地獄谷、熊の湯なぞのひとかたまりの温泉地帯があるのだが、ここは最近相当に都人士の入りこむところで、なんとなく一同の食指が動かず、そのほかに浅間温泉とか、アルプス山中に白骨、中房、有明なぞがないでもないが、これもやがて近づいた登山季節をひかへて、この一行にはあまり好もしい場所ではなかつた。
浩平の話によると、長野から三四時間の旅程で、すでに越後の温泉ではあるが、信越国境を越えてまもない山のどん底に、松之山温泉といふものがある。
単に山底といふばかりで特別奇も変もない風景であるが、松山鏡の伝説の地と伝へられてゐるところで全く都人士の訪ふ者がない。