山底にしては珍らしく数十軒の古めかしい素朴な家がたちならび、宿屋も十軒ぐらゐはあるのだが、全国に汽車が通じ交通の便がひらけるにつれ、名もない温泉が続々あらはれるにつれて、往昔殷賑をきはめたこの温泉は今はまつたく山のどん底に置き棄てられた感じとなり、そのうへ積雪の甚だ深いところであつてさういふ気候の侘びしさもあり、数十軒の家棟ともども淋れきつた悲しさは、普通山奥の温泉といふばかりでは感じられない若干の感傷が流れてゐるといふのであつた。
この話をきくと、ひそかに戸隠行きに思ひをめぐらしてゐたに相違ない蒲原氏もよほど心を惹かれたものとみえ、戸隠行きには全く固執することを忘れて、早速明朝そこへ行きたいものであると言ひだした。
むろん一行に反対のあらうわけもなく、そこで、この一行は翌朝早々長野をあとにして、今は淋れた往昔の温泉地へと出発した。