停車場からいきなり頭上へはるばると聳えたつ山塊の懐へまつしぐらにをどりこみ、九十九折の山路をひたうねりにうねつて山の完全な頭上まで辿りついてしまふのだが、そこから更らに眼下に向つてうねうねとくだり、再び山のどん底へまひ戻つたところが松の山温泉で、正確に言へば松の山村字湯本、このへんでは松の山温泉なぞと大袈裟な風に言つては却々わからず、一般に湯本で通るのであつた。
温泉は深い谷底にあつた。
まづ清冽な谷川が流れ、それに沿うて往還が走り、往還に沿うて二三十軒の古めかしい家並がひとならび流れてゐるばかりで、いはば谷川と往還と家並と漸く三流の平行線を残すほかに平地はなく、谷川の対岸からも逞しい山の腹が濡れた岩肌をあらはにしてグイグイ空へのびてゐるし、湯宿の裏は鬱蒼と昼も暗い山毛欅山で、つめたい静けさが澱んでゐた。