まづ清冽な谷川が流れ、それに沿うて往還が走り、往還に沿うて二三十軒の古めかしい家並がひとならび流れてゐるばかりで、いはば谷川と往還と家並と漸く三流の平行線を残すほかに平地はなく、谷川の対岸からも逞しい山の腹が濡れた岩肌をあらはにしてグイグイ空へのびてゐるし、湯宿の裏は鬱蒼と昼も暗い山毛欅山で、つめたい静けさが澱んでゐた。
特に高い山もなく、奇勝とよぶべき風景もなく、平凡な山また山と谷川がうちつづくばかりで、むしろ総じて甚だしく単調であつた。
温泉といつても特別何病にきくといふ建前があるでもなく、病人はめつたに来ない温泉で、小金を握つた近在の農夫達が積年の垢を落しにくるといふのんびりした湯治場だつた。