宿の下には遥かな傾斜がくだつてゐて、それを距てた遠い彼方に幾重の山波が浮かんでゐた。
山中のこととて此の辺りも蛇の多い所であるが、この部落に三平とやら三蔵といふ生れついて一本気の若者がゐて、因果なことに肺病になつたが、蛇の黒焼がきくといふ人の話をきいてからは、一念凝つた蒼ざめた顔で、日々蛇をかりくらし、さういふことがあつてから、部落の蛇があらかた三平に食はれたせゐでめつきり減つてしまつたといふ、湯宿の老婆がまじめに語る奇妙な話をききながら一日を暮して、太陽が山の端に傾いてから帰路についた。
兎口から湯本の道は、片側が逞しい山の腹、片側が流れの色も定かに見えぬ断崖のあひだをうねうねと辿るところで、九十九折の山径であるが、もはや温泉も近づいた、とある曲路に差しかかつたとき、突然頭上の叢から頭以上の大いさのある岩石が風を切つて落ちてきた。