兎口から湯本の道は、片側が逞しい山の腹、片側が流れの色も定かに見えぬ断崖のあひだをうねうねと辿るところで、九十九折の山径であるが、もはや温泉も近づいた、とある曲路に差しかかつたとき、突然頭上の叢から頭以上の大いさのある岩石が風を切つて落ちてきた。
先頭に立つてゐたのは蒲原氏だが、その眼の先二三尺のところを掠めて足もとへ落ち、大きくはづんで、谷底へ激しい音を発しながら転がり落ちていつたのだ。
思ひがけない出来事に驚きの叫びもでない蒲原氏が、やうやく我に返つて頭をあげ、草木の密生した木暗い頭上の山を仰ぐと、なにぶん頭上のことではあり草木の密生した山のことで、人の像は分らないが、ガサ/\と草をわけて逃げる物音がきこえてゐた。