然しながら九十九折の山径を登りはじめてまもないうちに、さういふ考へも自然に薄れ、片側の木立の深い山の腹へ、ただわけもなく奥へ奥へと這入つてみたい思ひがしてきた。
丁度細い小径をみつけ、咄嗟に本街道をふりすてて小径の奥へ駈け登つて行くと、山毛欅の広大な杜へでた。
一夜明けた早朝には愈々東京へ帰る予定になつてゐたので、今日限りこの山々も谷も杜も見ることができないのだと思つてゐると、別離の哀愁ともいふべきものが心に深く流れかかり、澱んだ杜のしづもりや、頭上を渡る風声や、なんでもない繁みの色やざわめく叢の気配まで一々胸にしみてきた。