一夜明けた早朝には愈々東京へ帰る予定になつてゐたので、今日限りこの山々も谷も杜も見ることができないのだと思つてゐると、別離の哀愁ともいふべきものが心に深く流れかかり、澱んだ杜のしづもりや、頭上を渡る風声や、なんでもない繁みの色やざわめく叢の気配まで一々胸にしみてきた。
なほも木暗い静かな小径をうね/\と辿つて、幾つとなく山の腹を迂回し、登りつめて行くうちに、突然ふット山腹にひらかれた広く明るい段々畑へ現れて、突然の変化にびつくりしたり、その畑にこれも自然の風景のやうに農婦がぼんやり彳んでゐるのに気がついて、別段意味もなく慌てだしたりしながら径をすたすた急ぐうちに、畑もすぎ、やがて一群の山塊もぬけだして、広茫たる草原へ現れた。
草原は遥々と傾斜し、傾斜の極まる下からも、傾斜の極まる上からも、逞しい山塊がすくすくとのびおこり、広茫たる草原の四壁に傲然たる威容をそろへて流れてゐた。