つまり読者と協力して、共々言外のところに新らたな意味を感じ当てたいといふ考へであるが、これは未熟を弥縫する卑怯な手段のやうにも見えるが、私としては自分の文学に課せられた避くべからざる問題をそこに見出さずにゐられない気持である。
芥川龍之介の自殺の原因に十ほど心当りがあるといふ話を宇野浩二氏からおききしたことがあつたが、当然ありさうなことで、また文学者のやうな複雑な精神生活を持たない人々でも、これ一つといふ剰余なしのハッキリした理由だけで自殺することの方が却つて稀なことではないだらうか。
自殺なぞといふ特異な場合を持ちだすまでもなく、日常我々が怒るとか喜ぶとか悲しむといふ平凡な場合に就て考へてみても、単に怒つた、悲しんだ、喜んだ、と書いただけでは片付けきれない複雑な奥行きと広がりがあるやうである。