日本語は幸か不幸か必ずしも主格の設置を必要としない。
彼は斯々に考へたらしい、とか、斯々に考へた様子にも見えた、といふ風に言葉を用ひて第四人称をはぶくことも出来ない相談ではないやうである。
「らしい」といふ主体が作者の主観に間違はれる心配は、その前後の語法に多少の心を用ひればまづ絶対にないとみていい。
日本語は幸か不幸か必ずしも主格の設置を必要としない。
彼は斯々に考へたらしい、とか、斯々に考へた様子にも見えた、といふ風に言葉を用ひて第四人称をはぶくことも出来ない相談ではないやうである。
「らしい」といふ主体が作者の主観に間違はれる心配は、その前後の語法に多少の心を用ひればまづ絶対にないとみていい。