つまりは今も昔も変りなく、自分の意に充つるやうにしか書けないわけのものであらうが、そこで私は自分の状態をのべると、あくまで断定的ならざる又組織的ならざる形態で示したものが、それ自体としては真実を掴んでゐないにせよ、真実を掴みそこねてはゐないので、真実らしく見えるのである。
且又斯様に分裂的な曖妹な言ひ方を曖昧なままディアレクティクマンに累積することによつて、ともかく複雑な襞をはらんだ何物かを言ひ得たやうに思はれる場合が多いやうにみられるのだ。
このことは又、章句の場合に限らず、小説全体の構成に就ても同断である。