Aの事情からBの事情が継起する必然性は人間の動きに於ては決してないので、それ本来の条件としては寧ろ偶発的、分裂的と見る方が至当であり、これらの動きに一々必然的な聯絡をつけ、組織づけやうとすると、ここでも却つてその真実らしさを失ふことになるであらう。
ドストイェフスキーの作品では、多くの動きが、その聯絡が甚だ不鮮明不正確で、多分に分裂的であり、それらの雑多な並立的な事情が極めてディアレクティクマンに累積され、或ひはディアレクティクなモンターヂュを重ねて、甚だしく強烈な真実感をだしてゐる。
組織的に組み立てやうとするよりも、むしろ意識的に分裂的散乱的に配合せんとすることを狙つてゐて、いはば彼にあつては、分裂的に配合することが、結果に於て組織的綜合的な総和を生みだすことになつてゐる。