鎌倉頃の観音や地蔵の像には、工匠達がその憧れの肉体をそこにもとめたかのやうに、その肉感のなやましさに見る人々を呆気にとらせるものがある。
然し、それらの肉体の線は飛鳥天平の象徴的な手法と異り写実的な手法であつて、現実の女体さながらなのが普通である。
この弥勒は現実を夢幻的に歪めてゐること飛鳥天平のものにちかいが、その甚しく非現実的な肉体から、見れば、みづ/\しい肉感の縹渺と放つてゐるのである。
鎌倉頃の観音や地蔵の像には、工匠達がその憧れの肉体をそこにもとめたかのやうに、その肉感のなやましさに見る人々を呆気にとらせるものがある。
然し、それらの肉体の線は飛鳥天平の象徴的な手法と異り写実的な手法であつて、現実の女体さながらなのが普通である。
この弥勒は現実を夢幻的に歪めてゐること飛鳥天平のものにちかいが、その甚しく非現実的な肉体から、見れば、みづ/\しい肉感の縹渺と放つてゐるのである。