橋本関雪氏の文章によると、同氏は再々支那の山河を跋渉されてゐるやうであるが、支那の南画の山水が決して現実を歪めたものではなく、あれがそのまま正確な写実であることが分るといふ話であつた。
日本の画家が南画に写実を見ず、象徴的な筆法や形のみを学ぶのは誤りだといふ意味なのである。
然し私は数年前京都の嵐山に住み、雨の日雲の低く垂れた嵐山や小倉山、保津川の風景に、日本の山水のふるさとを見て呆気にとられたことがあつた。
橋本関雪氏の文章によると、同氏は再々支那の山河を跋渉されてゐるやうであるが、支那の南画の山水が決して現実を歪めたものではなく、あれがそのまま正確な写実であることが分るといふ話であつた。
日本の画家が南画に写実を見ず、象徴的な筆法や形のみを学ぶのは誤りだといふ意味なのである。
然し私は数年前京都の嵐山に住み、雨の日雲の低く垂れた嵐山や小倉山、保津川の風景に、日本の山水のふるさとを見て呆気にとられたことがあつた。